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ー​スタッフ日記ー

 第60回 「ユーモア至上主義」 2018.9.15.

 国民的マンガ「サザエさん」の第一巻では、
 食糧の配給に並ぶサザエさんが笑いを誘います。
 時々停電したり、泥棒が入ったりする戦後を背景に、
 どんな時にも小さな楽しみや、
 日々の営みの中で笑いを見つけていく長谷川町子さんの
 「前を向く」人生観に圧倒されます。

 

 いつぞや、あるお笑い芸人の方が、
 変わっていく「笑いの質」について語っていました。
 自分たちの時代は、貧しくて、腹が減って、
 クラスにちょっとかわいそうなやつがおって、
 そういうことが笑いのエネルギーに変わっていった。
 今の若手の芸人は、おもしろいしセンスもいいけど、そういう背景がなくて、
 散々笑った後に涙が滲むような、そういうお笑いではなくなった。
 そんなニュアンスの話でした。

 死生学の第一人者、アルフォンス・デーケン先生も、
 「ユーモアとは、~にも関わらず笑うという、前を向く意味が込められている」
 と言っておられました。
 自分もそれを聞いて、甚く共感した記憶があります。

 簡単に言ってしまえば、
 弊社で「ユーモア」に拘っている理由はそんなところにあります。
 覆せない事実を目の前にした時、なお前を向いて歩いていくために、
 常にユーモアを忘れたくない。
 そう思っております。

 

(Nセンス)

​-Archive-

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 第59回 「静かなる心 -episode2-」 2018.9.1.

  夏から秋にかけて、ふと気持ちが静かになる瞬間があります。
 淋しいとか、哀しいという気持ちとは少し違う、心が静かになる時、
 自分が様々な生命の中の一粒として、確かに生きていると実感できるような気がします。

 

 前回はスターウォーズの話が出ましたが、
 もうひとつ、静かな名シーンとして思い出しますのは、
 ジブリ映画の「千と千尋の神隠し」で、大暴れした後のカオナシと千尋が、
 水面を走る列車(?)におとなしく乗っていくシーンです。
 いつか夢に見たような、あるいは昔自分も乗ったことがあるような、
 美しい青(日本の夏空に違いない)が広がる、不思議で静かな時間です。
 影の乗客が乗り降りしているところを見ていると、
 宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」を彷彿とさせます。
 ジブリ映画といえば「風の谷のナウシカ」の巨人兵が姿を現すシーンだとか、
 「カリオストロの城」の最後の時計台の格闘シーンに興奮した記憶がありますが、
 どういう訳か、あの水面列車の静かなシーンは詩情が強烈で、他に類を見ません。

 

 最後に、「心」の話に無理やり便乗しますが、
 現在、弊社では保険外サービス「こころ」を見直しておりまして、
 年内にはリニューアルされる見込みです。
 利用者の皆様が日頃諦めているようなことを、
 自費サービスとして、介護サービスの隙間時間でお手伝いしていきたいと思っております。
 何卒、宜しくお願い申し上げます。

 

 (Nセンス)

 

 第58回 「静かなる心 -episode1-」 2018.8.15.

 むかし空手をやっていた時、

 練習前に数秒間の「瞑想」をしていた記憶があります。
 姿勢や呼吸など、正しいやり方をしていたかどうかは甚だ疑問ですが、
 あれこれ考えていた時を遮断して、

 確かに「無」になるような心境は得ていたように思います。

 今年、シリーズもので「ハン・ソロ」が話題となった映画「スターウォーズ」ですが、
 そのエピソード1で、
 マスタークワイ=ガン・ジンがダース・モールとの戦いの合間にバリアに遮られ、
 少し精神統一するシーンがありました。
 あれ、良かったですね。武道好きには見逃せないワンシーンです。

 

 日頃、頭に来たり、辛かったり、哀しかったりすることがあっても、
 なかなか瞑想する時間も、またその発想も浮かばないものです。
 祈ることによって自分と向き合うという方もおられるでしょうが、
 恥ずかしながら自分には信仰心もありません。
 で、どうするかと申しますと、
 志賀直哉の掌編を読んだり、 バルビゾン派の絵画を眺めたりする訳です。
 不思議と、瞑想した後と同じような、自分をとり戻したような心境になります。

 

 元都知事で作家のI氏は、読経をして気持ちを落ちつけると何かで読みました。
 自信家の印象はあっても、

 やはり自己と向き合う時間は必要なのだと感じた覚えがあります。
 皆さんは自分と向き合うために、何かされていますか?

 

 (Nセンス)
 

 第57回 「たかだか&つくづく」 2018.8.1.

 暑中、お見舞い申し上げます。
 今年の東京は梅雨明けも早く、連日の猛烈な暑さのなか、
 皆汗だくで自転車を漕いでおります。

 大正6年の志賀直哉の随筆には、こんな記載があります。

 

 『暑い。今年の暑さは不自然にさえ思われる。』(「蜻蛉」/白樺)

 

 当時から、

 人々が「今年の夏は異常だ」などと言いながら過ごしてきたことが想像されます。
 実際の気温上昇と、エアコンの普及による室内と屋外との温度差もあるでしょうが、
 人の実感というものは絶えず変化していくようです。

 先日某テレビ番組で、
 七味唐辛子の老舗「八幡屋礒五郎」の社長さんが言っておられました。
 時々、「おたくの七味、辛くなくなった」と言われる方がある。
 変えていなくても、時代の嗜好が変わっていく限り、人の味覚も変わっていく。
 だから、絶えず変えていかないと「変わらない味」は維持できない、と。

 たかだか17年の我社など、来年どころか来月どうする、などと笑っておりますが、
 時代を越えていくなんて、つくづく凄いことだと思いますね。

 (Nセンス)

 第56回 「東京ドーム2018」 2018.7.15.

 雨あがりの水道橋、日高屋あたりでゼロ次会。
 社長合流、気持ちは登山具。
 とにかく日々の雑多な感情もビールで流し込み、
 餃子とラーメンのヒットエンドランという訳で、
 今年も行ってきました、東京ドーム、ヤクルト戦。

 世間がサッカーに湧き、「大迫半端ないって!」と叫ぶなか、
 一塁側二階席に登り、
 オレンジのユニフォームをまとって東京ドーム一個分の空気を
 吸っておりますと、あれ、ファーストは駒田か中畑か、
 と例によって過去の残像が浮かび上がって参りました。

 隣のY田さんが、打ち上がったファールボールを見て質問。
 あれを捕る前に、ファーストへ着いちゃったらどうなるの?
 そうか、そう考える方が人生楽しいかも。
 ゴボウ風味のロールケーキをいただきながら、
 白ワインなんぞを嗜みました。

 

 我がO島さんは、誕生日記念のネーム入りユニフォーム着用。
 へぇーそんなのあるんだ、
 つい自分も欲しいと思いつつゲームは大詰め、
 代打合戦になるもついに逆転ならず、
 最後は梅雨時らしく東京音頭の傘の舞を眺めたのであります。

 

 で、水道橋反省会。
 G家の京都旅行やM家の内情などを聞きながら、
 シメのビールをいただきました。

 

 毎度チケットT島さんに感謝。
 がんばりました。

 

 (Nセンス)

 第55回 「灯‐tomosibi‐」 2018.7.1. 

 いつぞやのテレビ番組で、元経産省官僚の岸博幸さんが、
 「介護は、がんじがらめに報酬を制限された、
 いちばん難しいビジネスなんです」というようなことを言っておられました。
 加算の条件等々を読んでおりますと、
 本当に、ただ「厳しい」ということではなくて、
 「おかしい」という域に至っているものがあります。
 机上の空論じゃないか、と思って眺めておりますと、
 やはり次期改定で消えていく。
 現実的ではないのです。
 こういうことを繰り返していると、
 何が正しいのか判らなくなることがあります。

 芥川の小説「杜子春」では、
 仙人になるために黙り通してきた主人公が、
 最後に「お母さん(おっかさん)」と
 叫んで涙を流してしまったことを逆に評価されます。
 キン肉マン世代であれば、
 ジェロニモが超人になるために突破する第三の関門ですね。
 子どもを助けるために、
 育ててくれた恩人のシャイアン族長(実は超人の神)に

 トマホークを振りかざすという。

 何が本当に正しいことなのか。
 暗闇の中を突き進みながら、
 いつか遠くに灯を見たいと願う今日であります。

 (Nセンス)

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