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ー​スタッフ日記ー

 第54回 「時は金なり」 2018.6.15. 

 生き急ぐつもりはないのですが、
 とにかく「時間が足りない」と感じながら走り続けるこの人生。

 仕事の時間はもちろん足りませんが、
 人一倍寝るのが好きな自分には睡眠時間も足りません。
 子どもを抱きしめる時間も必要ですし、
 駅伝に出るにあたっては走る時間も必要、
 音楽は寝る前に歯を磨きながら聴くとして、
 通勤時間が貴重な勉強時間であれば、
 読みかけの本など一体いつ読むつもりなのか、
 というのが目下の課題です。

 今、読みかけておりますのは
 伊藤忠商事の名誉理事でおられる丹羽宇一郎さんの日本の未来を語った書。
 この方の書くものは解りやすいため、昔から好んで読んでいます。
 持論の「サムシング・グレート」や、
 どこまでも前向きな思考を追っておりますと、
 それこそがこの方の素質だったのだと感じられます。
 稲盛信仰ではないですが、何をどう受け止め、
 分析するかというのもすべて精神論と言えますね。
 日立製作所元会長、川村隆さんの「ザ・ラストマン」も
 早く言ってしまえば精神論ですが、

 しっくりくるところがあり、何度も読み返しています。

 

 もうひとつ読みかけているのが「生きているとはどういうことか」。
 タイトルに魅かれ古本屋で手にしたものですが、
 生物学者としてテレビなどでもお馴染みの池田清彦さんの著書です。
 働かなくてもいいのなら、生物や宇宙の不思議に触れ、
 「へぇー」と叫んでいたいものです。

 

 そういえば十代の頃はNHKの「生きもの地球紀行」を
 ビデオに録り溜めていました。
 今でも時々二時間ドラマなど家内に録画をお願いしているのですが、
 結局観る時間がないんだなぁ。

 (Nセンス)

​-Archive-

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 第53回 「横田駅伝2018」 2018.6.1. 

 年も行ってきました、横田駅伝。

 天候を気にかけておりましたが、日差しは強いものの風があり、

 木陰にいると朝はまだ肌寒いくらいでした。


 ほとんどぶっつけ本番の自分としましては、

 周りの連中が相当走り込んでいるように見える訳で、

 いつものように自信の欠片もないまま、

 とにかく完走することだけを念じてウォーミングアップしていました。

 今年もブートキャンプ的な準備体操はやっていましたが、

 ご時世のためか基地関係者の姿は少なく、

 代わりに日本人スタッフが沢山おられましたね。


 二走の自分はJ君からタスキを受け、

 小太鼓の応援などを聞きながら心地よくスタート。

 昨年一キロ過ぎで早くも泣きそうになった経験から、

 今年は意識して抑えていきました。

 ヘアバンドをしたひょろりと背の高い青年と、

 頭頂部まで陽に焼けた汗だくおじさんに付いていく道中。

 自分と併走していたということは、

 たいして早くないということになりますが、

 ラストスパートで追い抜く根性もなく、

 茶髪のでかいイヤリングの女性にも抜かれ、

 結局足がもつれそうになりながら社長にタスキを渡す始末でした。

 アンカーO辻さんも「昨年の自分越え」を達成、

 無事チーム完走を遂げた次第であります。
 

 で、お決まりの新宿反省会。

 慣例の「もつ煮」を食べ、安堵の胸を撫で下ろしました。
 

(Nセンス)

 第52回 「メロディー」 2018.5.15. 

 毎日、何度も電話をしてくるお一人暮らしの女性がおられまして。
 用件は、何がなくなった、盗られた、というものから始まり、
 次第に方々へ飛躍するのですが、
 とにかく暫く聞いていれば気持ちもいくらかおさまるようです。
 職業柄、このような電話には慣れており、
 歴代何名もおられるのですが、
 猛烈に忙しい時にこの電話につかまると、
 電話をとった側は非常に損をした気分になる訳です。

 先日、電話機のメンテナンスを機に、
 この方の着信音を変えてみました。
 着信を拒否しようということではないのですが、
 夜遅い時間などは、
 もう出ない方が相手方も諦めがつくということもあります。
 登録をしておけば、ディスプレイに名前が出る訳ですから、
 ここまでは何も難しいことはない。
 しかしそこまでしようとは、普段はなかなかならない訳です。

 で、着信音を明るい往年の流行歌にしてみたら、どうなったか。
 心理とは不思議なものです。
 そのメロディーが流れる度に、事務所内に軽い笑いが溢れ、
 誰かしらが心の準備をして電話に出る。
 厄介者扱いされていた相手の方が、
 実に孤独な、愛すべき人に思われてくるのです。
 些細なことですが、これって大事なことだなぁと思いました。

(Nセンス)

 第51回 「穴埋めジャパン」 2018.5.1. 

 新聞やテレビを見ておりますと、
 「大きな事件」というものは同時期に起こったニュースとの比較によって生まれる、
 ということがよく分かります。
 他に扱う事件がなければ大きくなり、
 それが世論、人々の関心事となって、さらに大々的に扱われる。
 テレビの司会者もコメンテーターも、
 他に取り上げるべき事件がなければ長い尺が与えられ、
 やむなく根掘り葉掘り論じることになります。

 新聞は売れなければなりませんし、
 テレビは視聴率をとらなければなりません。
 枠がなければ記事も番組も成り立ちませんが、
 それを埋めようとする力が働く訳です。

 

 医療の世界でも、
 例えばMRIなどの機器を導入すると、
 その元を取るためにMRI検査の頻度を上げようとする傾向が生じます。
 供給が需要を呼ぶという訳です。

 

 介護施設をつくるからにはそれを埋めなければならない。
 ショートステイという枠を確保すれば、
 それを埋めるために「連泊」「ロングステイ」という事象を生む。
 枠というものは、時に本来の目的とは真逆の理屈を展開します。

 

 では、そういった枠の不採算部分を国が受け持つべきかというと、
 国鉄や郵政の民営化など、歴史を見ての通りです。
 穴埋めの方法論、
 このあたりに知恵を出し合う必要があるような気がします。

 (Nセンス)

 第50回 「サービス」 2018.4.15. 

 最近は商品を購入する際、いろんな店で頻りに会員登録を勧められます。
 ある家電製品店はとてもしつこく、結構ですと断っても、
 「すぐできますから」「何もデメリットないですよ」
 「とりあえず登録しておきましょう」「断る理由ないんですけど」
 などと食い下がるんですね。
 会社にかかってくる営業電話もそうですが、
 せっかく勉強をしてきて、
 言いたくもないことを言うのがこの人の仕事なのだと思うと、
 厳しい現実が身に沁みます。

 先日某店に子どもと行った際、支払い後に、
 頼んだコーヒーゼリーがまだ出来上らないということで、
 返金された上で、「こちらのミスなので」と
 他のゼリーをサービスで付けてくれました。
 その分支払いますと言っても拒まれるので、やむなくいただきましたが、
 この損失を取り返すために何個売ればいいのかなどと考えてしまい、
 少し胸が痛みました。

 つげ義春さんの漫画に「リアリズムの宿」という短編があり、
 青森県鰺ヶ沢の商人宿のオカミさんが「サンビスしますから」と言いながら、
 逃げ出そうとする主人公を必死に引き留めようとする場面を思い出します。
 サービスというのは結局、
 受けとる側の実感なのだと改めて認識する次第です。
 介護事業、サービス業のそれぞれの厳しさを実感しつつ、
 「左手に聖書、右手に算盤」で
 苦難を乗り越えていきたいと願う、50回目のスタッフ日記でした。

 (Nセンス)

 

 第49回 「冥途」 2018.4.1. 

 誰でも四十五十になれば、
 多少なりとも老いや死というものを意識するようになると思いますが、
 この仕事をしておりますと、
 死というものが身近に感じられるためか、
 夢の中に亡くなられた方が頻繁に登場します。
 それも、もう何十年も前に亡くなった方だったり、
 あるいはまだ死んでいない両親が死んだことになっていたりと、
 縁起でもないことがデタラメに混じり合っています。

 しかも夢の中では、
 「あれ、生きてたの?」という具合に、
 あまり垣根を感じずに互いにおしゃべりをしたりする。
 何だか、滑稽に思えてきます。

 漱石門下の内田百閒という人の作品が、
 あの世とこの世、夢と現実の混じり合った世界を描いています。
 暗く冷たく、恐ろしく、哀しい筈の世界が、
 生真面目に語られるほど、どうにも滑稽に感じられてくる訳は、
 ありのままを受け止めた先の、
 たとえ死んでもしぶとく痕跡の中に生き、
 しまいに風に吹かれて消えていくというような、
 人が生きることそのもののユーモアであるような気がします。

 八十九十を過ぎて死を迎えることは、
 淋しいことではありますが、不幸とは言い難い。
 ここまで生きながらえたことは、
 決してあたりまえではない、むしろ幸運だったのだ。
 そんなふうに想うこの頃であります。

 (Nセンス)

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