
ースタッフ日記ー
Season3
-Archive-
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.53』2025.11.
先日、朝4:30に家を出まして、
久しぶりに始発電車に乗りましたNセンスです。
辺りは真っ暗で、さすがに早過ぎたかと思いましたが、
すでにホームには数人が待っていて、
千葉から来た始発電車はほぼ満員でした。
年輩の方がほとんどでしたが、
どうやら都心部の清掃や食品関係の方などが多いようです。
さて、また鳥インフルエンザで、
北海道の養鶏場が46万羽殺処分というニュースがありました。
私たちは毎日食事を通じて、
鶏や豚や牛、あるいは魚の命をいただいている訳ですが、
こういったニュースを聞くたび、
何とかならないものかと胸が痛みます。
鳴き叫ぶ鶏をコンテナに入れ、ガスなどで殺処分するようですが、
自分にはとてもそんなことはできない、と思う訳です。
しかし家畜を毎日加工する人がいて、
私たちはそれを食べることができる。
過酷な業務を他人に任せることで、その行程を見ずに過ごしています。
私たち介護の仕事も、大変なお仕事ですねぇ、と労われたあと、
「自分にはとてもできない」と言われることがあります。
介護職が少なくなり、
間もなく「保険あってサービスなし」という地域が現れるでしょう。
そうなると、「自分にはとてもできない」などと言っていられません。
保護責任で、家族がやるしかなくなるのです。
清掃も食品加工も、介護も、
誰かが担っているから、世の中が回っている。
税金や保険料を納める人がいるから、保険事業が行える。
忘れて欲しくないし、忘れないようにしたいですね
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.52』2025.10.
ようやく気温が20℃台に落ち着き、
ぼんやりと秋らしい雲の流れを見上げるこの頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
夜中に目が覚めると、なぜか2:34とか3:45とか、
3:33のNセンスです。
上野で行われている「運慶展」が非常に気になっておりまして、
家内に関心があるかと尋ねると「大ありだよ」というので、
先月連れ立って行って参りました。
運慶たちは奈良時代の仏像の修復を担っていた仏師で、
当時の技術や思いを継承していたようです。
飢餓や疫病による民衆の不安を鎮めるための大仏など、
信仰心のない自分にはピンと来ませんでしたが、
こうして地震災害やコロナを経験しますと、
なるほど当時の一大プロジェクトであったことも理解できます。
運慶晩年の最高傑作とあって、
写実的な作品を間近で眺めますと、
どれもなかなかの迫力があり、
特に無著・世親(むじゃく・せしん)兄弟の慈愛に満ちた表情が、
玉眼の技術含め感服致しました。
漱石の「夢十夜」第六夜に、運慶の話が出てきますが、
奈良の文化を鎌倉の運慶が、
鎌倉の文化を明治の漱石が語る流れは、
日本の伝承と変貌が感じられます。
最後の一行でまとめる漱石もさすが。
戦後の焼け野原に始まる社会福祉も、
今の時代を生きる我々の取り組み、もがきが、
後世にどう見られるであろうかと、
仰々しくも思う訳であります。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.51』2025.9.
残暑お見舞い申し上げます。
「暑かったけど、短かったよね、夏。」
という稲村ジェーンのセリフを、
遠く懐かしむNセンスです。
先日、とんぼの舞う土手の上を自転車で進んで行きますと、
高校生くらいの半袖短パンの男子三人組が
前を歩いておりましたが、
そのうちの一人が、
ドリンクの空缶を藪の中へポーンと放ったのです。
あり得ない行為に一瞬ムカッとしましたが、
こんなことで顔面に拳を叩き込んでは、
こちらが非難されるでしょうし、
利用者宅へ急いでいたために、
時間を割くわけにもいきませんでした。
振り返れば、
自分も決して模範的優等生ではありませんでしたが、
自然や小動物が、
人間以上に尊く感じられるようになったのは、
いつ頃からだったかと考えました。
無意識に地域や社会について思うようになったのは、
四十を過ぎてからではなかったか。
そう考えると、
この躾の悪い青年も、いつの日か、
放り投げた空缶を拾わざるを得なくなるだろう、
泣き叫びながら、必死に藪の中を探すことになるだろう、
などと勝手な妄想を抱きました。
「ドブに落ちても根のある奴は
いつかは蓮(はちす)の花と咲く」
(男はつらいよ)
追い抜きざまに缶を捨てた青年の顔を見ますと、
もやしの根っこのような顎髭を生やしていました。
今どきの高校生は顎髭?いや大学生?
やっぱり顔面に一発叩き込んでおくべきだったかと思いつつ、
走り抜けた夏の午後でした。
(注:バイオレンス表現を含みます)
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.50』2025.8.
お暑うございます。
毎日利用者さんには水分補給を促しながら、
自分は毎晩足の攣れに目覚めてしまうNセンスです。
しかし何ですかね。
皮膚が痛み、息苦しいまでの、この暑さ。
明らかに数年前から、さらに一段ギア上げてきてますよね。
マスクのせいではないですね。
晴天という悪天候。
危険ですから外出は控えましょう、と言いながらの外回り。
エアコンのないお宅とか、連続の入浴介助とか。
在宅介護の皆様、本当にお疲れ様です!
せめて訪問の間隔を空けて、
休養を取りながら行いたい訳ですが、
訪問介護は報酬下げられましたし。
時給を上げたら補助金出すぞ的な、
自分は税金で食べていながら姑息なことをぬかしている輩は、
完全に無視した方が精神衛生上いいですね。
大変だ、大変だと嘆いていても何も変わりはしません。
訪問系の業務は、危険な日中帯は避け、
朝夕にボリュームを持ってくるとか、
何か考えないといけない時代なのかも知れません。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.49』2025.7.
紫陽花もびっくりのこの暑さ、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ビール、枝豆、冷奴、Nセンスです。
神様なんていないよ、
と日頃吐き捨てるように言っている自分ですが、
どうも奇跡のような出来事が、時々起こり得ます。
虫の知らせというのか、
何となくの予感がしたり、あるいは夢に見たり、
偶然にしては出来過ぎていることが起きる、などなど。
神様かどうかは分からないが、
偉大なる何ものか、
サムシンググレートの存在を感じてしまう訳です。
毎日いろんな方とお話をしていると、
自分にはそんな体験が多いと感じている方が他にもいらして、
そもそも人の出会いは「縁」であると、
しみじみ感じている次第です。
志賀直哉の短篇に「盲亀浮木」というタイトルで、
奇跡体験をまとめたような話があります。
「盲亀浮木」とは、百年に一度しか海面に顔を出さない盲亀が、
百年目に、大洋を漂う浮木の、
ひとつしかない節の穴から首を出したという、
あり得ないことの実現する寓話で、
仏教では「人として生まれてくることの難しさ」などを
説いているようです。
有り難いこと、つまり「ありがとう」の語源とか。
偶然の出来事にも、
何か理由があると疑ってしまう今日この頃です。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.48』2025.6.
ゴンチチさんのクラシックギターの音色に癒されておりましたら、
ふと昔のCMのメロディーが頭に流れて来ました、昼下がりのNセンスです。
確かゴンチチさんの曲で、パスタか何かのCMだったと記憶していたのですが、
検索してみると、これがなかなか見つかりません。
「忘却してしまったものこそ、ある存在をいちばん正しく想起させるものである」
(マルセル・プルースト)
昔のことはいつまでも覚えているのに、最近のことが思い出せない。
担当者会議の記録を早くまとめないと、と思ってファイルを開くと、
すでに記録が済んでいたりする。
認知症になることを恐れながら、いやはや自分も予備群仲間入りです。
しかし、この忘れるという機能によって、
これまでどれだけ救われてきたか知れません。
前を向くために、忘れるしかないこともある。
ヒトの脳とは、実にうまくできているとも思います。
ところで探していた曲は、
「シチリアーナ」という作者不詳のイタリア伝統舞曲で、
Googleで何度かハミングして見つけ出しました。
ゴンチチさんのギターではなく、つのだたかしさんのリュートで、
カゴメのパスタソースのCMでした。
いろんな楽器による演奏があるようですが、
つのださんの淡々としたリュート演奏が、やはり強い郷愁を誘います。
「忘却してしまったものこそ、ある存在をいちばん正しく想起させるものである」
まさしく。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.47』2025.5.
朝四時半から、
娘の「地獄の断頭台」で目覚めましたNセンスです。
咲いた、咲いた、過去最多。
はい。いろんな業界で、倒産件数が過去最多になっております。
介護業界然り、近年は中小規模の病院も経営難で、
倒産や統廃合が進行しているようです。
やはりコロナ禍の5年は多くの病院が赤字続きで、
もともと利益が出にくい保険事業では、
松下幸之助さんの「ダム式経営」ではないですが、
日頃から貯めておくほどの利益は出ておらず、
また医薬品は輸入ものも多く、
この物価高に耐えられなくなったようです。
一般的には、医療は儲かっているとか、
人口減少の日本を考えれば倒産は仕方がないとか、
医師は経営の勉強をしていないとか、
いろんなことが言われていますが、
現場の危惧はそういう次元ではないようです。
特に地方の市民病院などは慢性的な赤字で、
大型病院を建設して医師を配置するよりも、
都市部まで高速道路をつくって救急車を配備する方が、
長いスパンで考えるとコストは抑えられるようです。
不要な検査を積み重ねるなど、
あの手この手で生き残る「経営の上手い病院」が、
必ずしも良い病院とは言い切れない。
けれども潰れてしまっては、地域の不利益になります。
介護業界にも大きな法人による買収の波が押し寄せていますが、
利益追求の巨大グループしか生き残れないとは、
実に恐ろしい世界です。
誠実にやっていても利益の出ない保険事業にとって、
これは宿命と言えるかも知れません。
しかし無理だと思えば、そこで思考停止です。
もう評論家は要らない。
自分たちは、なお懲りずに、
知恵を絞ってそこに抗っていきたいと考えております。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.46』2025.4.
気温の安定しないこの季節、いかがお過ごしでしょうか。
花粉だか黄砂だかで、毎日目が痛いNセンスです。
アメリカのみならず、日本の各地でも山火事が相次ぎ、
いよいよ異常気象が異常ではなくなり、
今の暮らしというものが、
あたりまえには続かないものだと実感させられました。
3月から25℃もありますと、
これから訪れる長い夏が恐ろしく感じられます。
ふるさと納税の仕組みをつかって、
被災地に寄付金を送る方法があるようですが、
地震と豪雨と山火事と、被災地の多さに圧倒されます。
あるいは動物の殺処分を減らす対策や、
子ども食堂なども応援したいとは思いますが、
個人が少額を寄付したところで、
根本的な問題解決にはならないと思い、頭を抱えます。
やはり目の前のこと、
手の届くことに力を注ぐ以外にないという考えに戻りますが、
ボランティアを当てにした発想では、継続性が伴いません。
それは我々の業界を見ればよく分かります。
数年に一度の突発的な災害や事故は別として、
社会問題の根本的な構造を変えるには、
新たな仕組みを作らなければならない。
私たちも介護を専門とした一企業として、
社会問題の原因や構造を分析的に捉え、
ひとつずつ、少しずつ、
変えていきたいと思います。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.45』2025.3.
乾燥により皮膚はバリバリ、静電気ビリビリのNセンスです。
先日、某高校の入試に向かう親子の行列を見かけました。
自分たちの時代は、試験や試合に親などついて来ませんでしたが、
時代が変わりましたね。
見に来るんじゃない、来たらぶっ○す、
くらいのことを言っていたと思います。
さて、三月といいますと今度は卒業式のシーズンでございます。
偶然ではありますが、当社でも今年度、
いろんな関係者の方とのお別れと、新たな出逢いがありました。
創業以来お世話になってきた先輩方には、
振り返れば、今の半分程の年齢で、
随分生意気なことを申し上げてきたと恥ずかしく思います。
感謝の気持ちで胸がいっぱいで、思いつく言葉もありません。
周辺の関係事業所でも、いろいろと人の変化がありました。
今年度が、何か節目の年であったようにさえ感じられます。
しかしこれらの変化は、
少し前から分かっていたことのようにも思われます。
永遠などというものはない。
五十にして天命を知る、ではないですが、
物事は変わるべくして変わっていくのだな、と今は静かに思います。
お別れした皆さん、これまで本当にありがとうございました。
新たに出逢った皆さん、
これもご縁ですので、何卒宜しくお願い申し上げます。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.44』2025.2.
お寒うございます。
年甲斐もなく、多忙を極めておりますNセンスです。
先日、滅多に座れないバスに二人掛けの空席があり、
座らせてもらったのですが、
あとから小さい子どもを二人連れた若いお母さんが乗ってきましたので、
声をかけて席を譲りました。
当然のことをしたまでですが、二十代の頃は、
ひとつ席を譲るにもドギマギしていたことを懐かしく思い返します。
正義ぶるような行いを、どこかで恥ずかしく感じていたような気がします。
志賀直哉の掌編に「正義派」というものがあります。
電車事故を間近で目撃した線路工夫たちが、
鉄道会社側には非がないように説明する監督らに反撥して、
警察に真実を訴えます。
はじめは興奮して真実を曲げない工夫たちでしたが、
やがて時間が経過するに連れ、会社に反撥して仕事を失う現実などに深酒し、
侘しさ虚しさに打たれるという話です。
そこに正解は書かれていない。
ただ、正義を貫こうとすれば別の誰かを苦しめ、
また自分にもリスクが及ぶ、ということは、誰しも経験することです。
ネットニュースのコメントなどには、匿名で疑惑の人物を叩く輩がいます。
宗教の勧誘ではないけれど、自分たちは悪いことをしているという自覚がない。
いわゆる「正義の暴走」です。
そして正義を振りかざすような人を、とりわけ嫌う人もいる。
声を上げることは大事、
だけども、テレビでキャスターがそれを強気に訴えると、
何か違うように感じられる。
どうやら分断を生んでいるのは、
私たち自身だと自覚した方が良さそうですね。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.43』2025.1.
明けましておめでとうございます。
暮れに発熱し、変な夢ばかりみながら寝込んでおりましたNセンスです。
正直、個人的には悩ましい出来事の多い一年でしたが、
最後の最後にトドメを打たれた感じです。
振り返りますと、
戦争や政権交代で世界的に不安定な印象、
日本では名だたる大手企業が大量リストラや上場廃止、
中小零細企業は過去最高の倒産数と、
冷酷な経済状況が続いております。
このような大時化(おおしけ)の中、
小舟をどうコントロールしていくべきでしょうか。
「ああ時の河を渡る船にオールはない」
(薬師丸ひろ子/Wの悲劇)
介護業界も、
M&Aを加速させるべく財務状況を公表させることになりましたが、
本当に、実効性のある支援策は何ひとつせず、
義務化だけは年々増やしていく根性は見上げたものであります。
自分では1円も稼いだことがない人たちの発想ですね。
経営さえ安定すれば、介護サービスの質の担保は問わないのか。
我々自身も、規模拡大に相反する少数精鋭の意味を、
いま一度考える必要があると感じています。
ところでこの時期、朝焼けがとてもきれいです。
薄汚れた東京の空も、それなりに美しい。
希望の灯火を胸に、変革の巳年、スタートにょろ!
(Nセンス)
