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ー​スタッフ日記ー

​Season3

​-Archive-

『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.64』2026.10.

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 台風の影響もあって、秋の長雨に身も心も濡れるこの頃、
 皆様いかがお過ごしでしょうか。
 目覚まし時計の作動前に、

 娘のカーフ・ブランディング(仔牛の焼印押し)で

 目覚めておりますNセンスです。

 

 最近は話題にならない日はないAI。
 開発段階のAIが勝手に某社にサイバー攻撃をしかけた事件もあり、
 しかも人間に気づかれないように動いていたとあって、
 最先端の研究者たちが、
 このままでは人類を滅亡させると警鐘を鳴らす騒動となりました。
 大国間の競争で、開発をやめたら負け、という核開発と似た構図のようです。
 日本は神道などの精神で、そこに命があるものと想像するため、
 フィジカルAIとの親和性があるとか、だからこそ危険だとか言われています。
 便利だ便利だと興奮気味に話している周囲を眺めながら、
 具体的にどう取り入れていくべきかを考える日々です。

 少子化は、先進国と言われる国々に多く見られる現象とのこと。
 社会の効率化が進むと、人が住みにくくなるということでしょうか。

 

 物価高と次年度の制度改定を懸念しつつ、
 シューマンのトロイメライなど聞きながら
 家路を辿る静かな秋の夜であります。

 

 (Nセンス)

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『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.63』2026.9.

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 今年はまだ良い方か、と思いつつ、やはり8月は暑かったですね。
 早朝から娘のベアクロー攻撃で、腕がみみず腫れのNセンスです。

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 通勤途中などで見かける、飲食店の閉店ラッシュ。
 物価高ということでしょうか、
 「8月末日をもって」「長い間ありがとうございました」
 という貼り紙を見る度、胸が痛みます。
 決して客入りが少ない訳ではなく、
 店の外まで人が並ぶような店まで閉店するのですから、
 努力や工夫では到底及ばない事態なのだと思われます。
 そこには夢や情熱や数々の苦悩があった訳で、
 とても他人事とは思えません。

 

 一方では、地震やら台風やら線状降水帯やらで、
 信じ難い自然災害の報道が続いています。
 自然相手ではケンカにもならない。
 どう生きていけば良いのか、曇天を仰ぎながら考えてしまいます。

​

 「ネガティヴ・ケイパビリティ」を目下勉強中ですが、
 これからも人が前を向いて生きていくためには、
 課題を解決する力だけではなく、
 答えの出ない事態に耐える力も必要かも知れません。

​

 (Nセンス)

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『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.62』2026.8.

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 お暑うございます。
 娘の「地獄の九所封じその七 ストマッククラッシュ」を何発も喰らい、

 ついに鼠径ヘルニアの手術をするに至りましたNセンスです。
 腹腔鏡手術で日帰りでしたが、いやはや辛いですね。

 気がつくと、また構わず馬乗りになってくる娘です。

 例年に倣い、それぞれの店先の装飾も夏らしく、

 という訳ですが、よしず張りに朝顔、うちわ、蚊取り線香に風鈴…て、

 これ昭和の夏ですね。
 夕立はゲリラ雷雨に、

 うちわや扇子はハンディファンや日傘に。
 網戸で外気を取り込むこともなく、

 夜通しエアコンをかけていないと安眠できない状況です。

 いまだにエアコンが嫌いな高齢者も多い訳ですが、

 確かに循環障害で冷え過ぎを感じる方もいるんですよね。
 いつまでも高齢者を責めるのではなくて、

 無風感エアコンとか、新たなものを導入していくべきでしょうか。

 そういえば子どもの頃、母親が毎晩背中にシッカロールを叩いてくれました。

 八月になると、不思議と昔のことを思い出しますよね。

 今でもあるんですかね、シッカロール。
 

 (Nセンス)

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『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.61』2026.7.

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 今年はしっかりと梅雨がありましたね。
 長袖をしまうのが少し早過ぎました、Nセンスです。
 今年は残暑も長くないような予報を聞きましたが、果たして。
 紅葉の美しい秋が楽しみです。

 

 さて、6月はサッカーのワールドカップが賑わいました。
 チュニジア戦が日曜日の昼間だったため、
 普段サッカーは全く見ない自分も、思わず見入ってしまいました。
 特に上田綺世選手の、4点目となるヘディングシュートなど、
 タイミングをずらせる器用さ、身体能力が著しく高いことを実感させられました。
 まるで漫画、
 立花兄弟のスカイラブハリケーン(キャプテン翼)を思い出しましたね。
 フォワードの使命は、スライディングでも顔面でも、
 ミドルでもこぼれ球でもいい、とにかく得点することだと。
 もちろん一人のプレーで点は取れませんが、
 最後に「決め切る」ことに執念を感じ、なぜだかじんわり泣けてきました。
 普段の仕事でも、8割か9割までできたら、
 あとは他の人がうまくやってくれるだろうと、
 何となく期待していないか。そんな反省が過ぎります。
 「決め切る」ことの重要性。最後の1割にこだわる集中力。
 若者たちに教えてもらいました。
 声援は全く聞こえてきませんが、自分も最後まできっちり決め切って、
 祈りのポーズをきめたいと思います。

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 (Nセンス)

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『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.60』2026.6.

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 早朝から娘のキャメルクラッチで目覚める季節となりました。
 皆様いかがお過ごしでしょうか、Nセンスです。

 

 5月の連休明けくらいに、
 事務所で飼っているイシガメの首に、ご飯粒大の白い塊が現れまして。
 はじめは餌がふやけて貼り付いているのだと思いましたが、
 取ってやろうにも、
 カメの方も「やめろ」と言わんばかりに首を引っ込めてしまい、
 何もできずにいました。
 珍しく餌を食べないことがあり、
 その時に餌が浮遊した状態を二三日放置したのがいけなかったのかも知れません。
 水槽を洗ってみると、1年以上前に得意気に食べてしまったゴム片
 (プラスティック水槽内のつなぎ目。これを見てガラスの水槽に替えました)
 がパリパリになって沈んでいました。
 つまり一時的な便秘状態で、餌を控えたとも考えられます。
 その後は餌もよく食べ、快便でした。
 しかし首の白い塊は一向に良くならず、
 調べると「膿瘍」の可能性があるということで、
 動物病院に連れていきましたら、どうやら膿瘍ではなく、
 表面上の傷のようで、イソジンなどで消毒してやれば良くなると教わり、
 安堵の胸を撫で下ろしました。

​

 以前、子猫の時もそうでしたが、
 動物病院で「名前」を記入をする段になって、
 名前をつけていないことに対する罪悪感のようなものに直面します。
 名前をつけてやるべきだと家内には言われますが、
 どうもその勇気というか、覚悟がない。
 飼いたくて飼い始めた訳でもなく、
 施設に入所する高齢者からやむなく引き受けただけですので、
 いまさら名前など、と引いてしまいます。
 しかし人間のように発言できない分、
 人間よりも優先しなくてはならないと考え、
 どんなに忙しくても水槽を洗い、餌をやっています。
 介護も同じで、普段はやっつけ仕事のようであっても、
 ふとした瞬間、視座を高めてくれるというか、
 何か崇高な意義を感じさせることがあります。
 もう30歳は過ぎていると思われますが、
 できるだけ元気で、長生きして欲しいと思っております。

​​

 (Nセンス)

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『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.59』2026.5.

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 ツツジがやけに眩しいこの頃、いかがお過ごしでしょうか、
 Nセンスです。

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 毎朝、某都心駅を通過するのですが、
 ある一角で観光バスを待つ外国人の群れに道を塞がれ、
 そこを通るために四苦八苦しております。
 小旗を持って誘導する人も運転手も日本人ではなく、
 各バスの名称も日本語ではないという状況、
 まるで異国にいるような感覚になります。
 禁煙区域で喫煙するし、タトゥーの腕で大荷物を引いている訳ですが、
 この安価な日本に、インバウンドを招いて経済が回っているのですから、
 ウェルカムウェルカムと囁きながら、その群衆の合間を抜けていきます。

 

 好きだった海外ブランドの服など、今となっては手が出ません。
 中東情勢も影響して、何もかも物価高騰の状態。
 販売規制も相まって、これ、今よりも一年後などの方がさらに高騰している、
 なんてこともありますでしょうか。

 

 ふと思い出しましたのは、小学生の時の、500円玉の登場です。
 それまでは岩倉具視の500円札でした。
 お札がコインになった時、
 何かその価値が下がってしまったような感覚を覚えましたが、
 高齢者は何度もこういった経験をしてきているのでしょう。
 ラーメン一杯1,000円時代、
 速やかに変化に対応しないと、ジ・エンドですね。

​​

 (Nセンス)

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『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.58』2026.4.

​​​​

 うららかな春に、左手の親指が疼きまして。
 むかし空手をやっていた時分に靭帯を切って手術したなあ、
 などと感傷に浸っていましたら、
 ケガをしたのは右手の親指だったことを思い出し、
 我ながら驚愕しましたNセンスです。

​

 先日トレーで食器を運びながら、かう考へました。
 ただ寄せただけでは乗り切らないグラスやカップが、
 それぞれの器の向きや配置によっては、上手くおさまることがある。
 これは家庭も同じで、家族がぶつかり合うのは簡単だが、
 上手くおさまるには、それぞれがおさまるべき方向を向き、
 居場所を見つける必要がある、と。

 

 会社もひとつのトレーだと考えられます。
 育ちの違う、趣味嗜好の違う様々な人の集まりであっても、
 適所に人を配置できれば、上手くおさまって、安定します。

 

 さて世界はどうでしょうか。
 地球という大きなひとつのトレーに、地理的にはおさまっている筈ですが、
 絶えず犇めき合いが起きています。
 自国の利益を何としても守ろうとして、他国の子どもの命まで奪ってしまう。
 そこまでして得なければならない利益なのか。
 なぜ競争の域を超えてしまうのか。
 なぜそれを誰も止められないのか。
 とかくに人の世は住みにくいものです。

 

 ところで左手の親指が痛むのは、どうやらiPadで動画など見る際に、
 知らず知らず負荷がかかっていたようでした。
 自業自得ですね。
 とかくに人の世は、因果応報ばかり。

​

 (Nセンス)

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『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.57』2026.3.

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 家々の庭木に桜の花を見かけるこの頃、
 いかがお過ごしでしょうか。
 冬季オリンピックを、ほぼニュースでしか見られなかったNセンスです。
 
 先日、また田舎にいる親父の夢を見ました。
 家の隣に、家と変わらない大きさの作業場があるのですが、
 その屋根の縁で、なぜか父が寝転んでいるという夢でした。
 寝返りうったら今にも落ちそうで、
 自分はニ階の部屋の窓から、危ないぞと声を掛けていました。
 しまいには、屋根の縁でゆっくりと後転倒立しはじめたので、
 この人は何なんだろうと驚愕していました。

 これまで父は、夢の中で何度も○んでいます。
 千昌夫さん「望郷酒場」の「なぜか、おふくろ気にかかる」然り、
 普通息子は母親を心配するものだと思うのですが、
 自分の場合、とにかくやたらと夢に親父が出てきます。
 世代的に、利用者さんの生年月日を見て、
 親父よりひとつ若いとか、ふたつ年輩とか、
 日々無意識に思っていることが夢の原因だと思われます。
 亡くなった方もいれば、介護を受けている方もいるなか、
 元気でいるだけで幸いだと実感するこの頃です。
 いつぞや、お歳暮が届いたという電話がありましたが、
 まだ仕事中だったため、早々に切ってしまいました。

 会えるうちに、会っておいた方がいいですね。

 

 

 (Nセンス)
 

『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.56』2026.2.

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 お寒うございます。
 子どもの食べている青りんご風味のゼリーの匂いから、
 自分が小学生の時、
 青りんごの飴が好きだったことをふと思い出しましたNセンスです。
 指にはめる、リングキャンディみたいなやつ、
 ありましたよね。今もあるのかな?

​

 昨年暮れに、元伊藤忠商事の会長、丹羽宇一郎さんが旅立たれました。
 丹羽さんの書いたものはとても分かりやすく、
 自分は二十代から三十代にかけて、
 図書館から借りたりして何冊か読みました。
 虫の眼になって深く知ること、
 鳥の眼になって俯瞰すること、
 魚の眼になって時流を読むこと。
 また、頭の良い人というのは大勢いるが、
 反対派も含め、多くの人をまとめていくには、
 相手の立場に立って考え、分かりやすく伝えられること。
 そんなことが書かれていたと記憶します。
 しかし相手の立場に立って考えるなど、
 ネット上の批判などを見ていれば、いかに難しいがが分かります。
 丹羽さんについても、
 中国大使をしていた当時の発言などで随分と批判がありましたが、
 その真意は自分には分かりません。
 ただ、危機意識は高く持ちながら、
 あれだけ前向きに、事態を肯定的に受け入れる姿勢というのは、
 読書量が多い云々より、氏の素質ではないかと思っていました。
 今になって振り返りますと、
 事実やデータを並べ、悲観したところで良い方向に向く筈もないため、
 後人に語る上ではポジティブだった、そんな気もします。

 先人の存在とは、本当にありがたいものです。
 ご冥福をお祈りします。

 

 (Nセンス)
 

『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.55』2026.1.

 

 新年明けましておめでとうございます。
 先日、ブラームスのハンガリー舞曲第5番を聴いておりましたら、

 不意にチャップリン「独裁者」のひげ剃りシーンを

 思い出しましたNセンスです。

 さて、近年は季節が夏季と冬季に二分されつつあるように、

 あらゆることの「二極化」が顕著になっています。
 昨年からクマ被害の報道が続きましたが、秋田県に寄せられる意見の半数は、

 県外からの、クマの駆除に反対する意見だと言います。

 実際に被害を受けている地元のことを想うと、

 この状況下で駆除に反対するなど考え難いことですが、

 そういう人も一定数いるという現実があります。
 ワクチンか反ワクチンか、原発廃止か継続か。

 SNSで多くの人が意見できるようになり、

 あらゆることが二極化され、分断されていきます。
 自分は学生の頃から「中庸の徳」という考えが好きで、

 どちらかに傾き過ぎることなく、

 いつも中立的な立場で和を保ちたいと思っていましたが、

 ある時、それは「八方美人だ」と指摘されたことがありました。
 どちらの意見ももっともだとすれば、「ダブルスタンダードだ」と非難される。
 反対の意見に耳を傾けることは大事なことですが、

 和を保つために、どう自分の意見を切り出すか。

 難しい世の中になりました。

 チャップリンの「独裁者」で、主人公の床屋は最後に兵士へ訴えます。

 それが、スマホ時代の我々に呼びかけているようにも聞こえます。
 「獣たちに身を託してはいけない。君たちを見下し、奴隷にし、

 人生を操る者たちは、君たちが何をし、考え、感じるかを指図する。

 …君たちは機械じゃない。君たちは家畜じゃない。君たちは人間だ。

 心に人類愛を持った人間だ。」
 (「独裁者」より抜粋)

 情報過多時代、大事なことは、自分の意見を持ちながらも、

 絶えず疑いを持つということでしょうか。

​​

 (Nセンス)
 

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